子どもをのばすアドラーの言葉 を読んで
アドラー心理学で有名な岸見一郎氏の著書です。私は同氏の大ヒット作である「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を読みました。アドラー心理学に初めて触れる経験をして多くのものを得ました。今までで一番多くの影響を受けた本かもしれません。
そんな岸見一郎氏が育児向けの本を出していたのでAudibleで聴いてみました。
アドラー心理学は対人関係の悩みを解決するのに適しているので、自ずと子育てにも親和性が高いです。結局この本は「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」の復習のような形で子育てについて述べているものでした。
子供を褒めたり、叱ったりしてはいけません。
子供と大人は対等です。子供を尊重しましょう。命令ではなくお願いをしましょう。
勉強は子供の課題であり、親が介入してはいけません。子供が助けを求めてきたときのみ手伝うことができます。
勉強とは今ある地点から少しずつ前に進んでいくことです。無理矢理に高い目標を親が与えてはいけません。
目先の利益や安定の為に勉強するのではありません。いつかこの勉強が他者の為に役立ち、貢献感を得ることで自分の為にもなることを認識させましょう。
上記の概要はどれも重要なものばかりです。アドラー心理学でいう課題の分離、他者貢献、貢献感が盛り込まれています。
ですが子供を褒めたり、叱ったりしてはいけないというのはなかなか難しいと思いました。私は叱るのは抑えることができますが、やっぱり反射的に褒めてしまいます。
作者が言うには褒めると褒められること自体が目的となり、褒められる為に何かをしようとする、とのことでした。
親に褒めてもらう為に勉強やスポーツを頑張る訳ではないですもんね。自分がやりたいと思うからやるのであって。常に親の顔を伺っているのは良くない訳です。ここにも課題の分離が現れていると感じました。要はバランスだと思います。褒めすぎも良くないし、叱りすぎもよくない、そういうことだと私は受けとりました。
そして子供との信頼関係が大事だなと思いました。親子感で信頼関係が成り立っていないとどんなことであっても伝わりませんからね。子供に何かを教えるときも子供が親を信頼しているから教わる気になる訳です。
信頼関係を上手く構築するにはやはり、対話が必要だと思います。常に子供の話を聞く、受け入れる、これが重要なんだと思います。
なんだかんだ言っても子育てというものは思った通りにはいかないと私は思っています。躓きそうになったとき、この本の言葉を思い出して子育てに活かしてみようと思います。
芸術起業論 を読んで
アートとは問いであることは『〈問い〉から始めるアート思考』で学びました。
ただそれだけでは評価される作品だとは言えないようです。評価されるアートとは、アートの文脈に繋がっているものだと作者は言っています。
アートの歴史を紐解き、その文脈に沿っているものでなければ価値は無く、評価もされません。アートとはそういうルールの上で成り立っています。
評価とは金銭的な価値のこと、つまり売れるかどうかということ。
アートをよく購入する層というのは殆どが富裕層です。彼らが何を求めてアートを購入するのか、それは未知の感覚だと思います。
富裕層というものは世の中のあらゆる感覚を既に手に入れています。お金があれば大抵のものは手に入りますから。美味しい食事、ハイブランドの服や宝石、豪邸、高級車、クルーザー、酒、SEX、ギャンブル。物質的な快楽だけではなくてビジネスでの達成感や自己肯定感など、この世で味わえる感覚をもうしゃぶり尽くしています。
そんな彼が味わったことのない感覚を求めるのがアートなのです。だからこそ評価されるアートには規格外の値がつくのです。
売れるアートとは富裕層を刺激するような新たな感覚を放ち、尚且つ美術史の文脈に沿うというルールを守っているものなのです。
美術史の文脈に沿わせるという作業ですが、これに関しては作品に対して自ら価値を付加してもいいということです。美術史という大木の幹があってそこから生える枝葉をアーティスト達は創っていくのです。
アートとはただ世の中に発信するのではなくて、キチンとその土台からブランディングしていかなければ評価をしてもらえないよ、という作者の強いメッセージを感じました。
このメッセージはこれから私が携わる仕事や趣味の絵描きに大きな影響を与えてくれそうです。
〈問い〉から始めるアート思考 を読んで
作者はアートディレクターをしています。父が画廊を経営していて、岡本太郎ら著名な芸術家達と幼い頃から交流があったらしいです。実際に芸術家を目の当たりにしてきた人だから語っていることには信憑性が持てます。
アートとは問いである。どんなに汚い絵でも理解不能な彫刻でも作者の問いが秘めてあるのならそれはアートです。逆にどんなに美しい絵でも問いが無ければアートではありません。
アーティストは己の内側にある問いをアートを通じて社会に向け発信します。それがどんな種類の問いでも構いません。問題を解決する為にアートを製作するのではなく、問題を問いかける為にアートを製作します。
アーティストの投げかける問いが社会に波及し、イノベーションを促進します。
美術史はイノベーションの歴史です。宗教画から写実主義へ、写実主義から印象派へ、印象派からシュールレアリズムへ、現状を打破する為にアーティスト達の様々な挑戦がありました。
美術史はテクノロジーに先行してイノベーションを起こしています。ビジネスに応用したり、未来を予測するにはアートを参考にするといいと思いました。
作者は素人でもアートを作ってもいいと言っています。それが頭の中でだけであってもです。
個人的に非常に勇気づけられる言葉でした。私も絵を描くので(とはいってもイラストや漫画の類ですが)日々感じている潜在的な問いを絵を通して発信していきたいです。
この本を読んでもっとアートに触れたくなりました。美術館や芸術祭にできるだけ足を運んでアートを目で捉えて、作品に潜んでいる問いに関して考えてみたくなりました。
私は今2人の子供がいます。まだどちらも言葉もまともに話せないくらい小さいので、もう少し大きくなったら家族でアート鑑賞を楽しみたいです。
アートとは何か、それを子供達になんとか輪郭だけでも伝えられるようになったことが今回の読書の一番の収穫かな、と思います。
野村ノート 読書メモ
弱いチームにはスクイズやダブルスチール等の奇策を講じさせて優位感を持たせる。
内角を打ち崩せないバッターはプロでは食っていけない。
現役時代に考え悩み苦しんだ選手でないと良いコーチになれない。
球種のヤマを張ることは勝負することであり、賭けである。
根拠のある賭けであれば見逃し三振してもいい。
賭けに出ないと戦力差がそのまま勝敗を決めてしまう。
弱者はいつまで経っても勝つことが出来ない。
外角低めは原点。
コントロールがないと話しにならない。
決断とは賭けのこと。
判断とは基準があるもののこと。
短期決戦で活躍する選手もいる。
4番やエースはチームの鑑。
4番とエースは育てられない。
チームのリーダーはオーナーである。
オーナーの意識が変わるとチームも変わる。
人気球団はタニマチによって腐敗する。
人間学のないリーダーに資格なし。
20歳の自分に受けさせたい文章講義 読書メモ
20歳の自分に受けさせたい文章講義
古賀史健
非常にわかりやすい文章だった。著者のことは「嫌われる勇気」で知っていた。
嫌われる勇気を読んでとても読み応えがあって読みやすい文章だと感じていたので、参考にしたい人だと思っていた。
最近物書きをうまくなりたいと思っているのでとても勉強になった。
以下、読書メモ
書くとは心のモヤモヤを翻訳すること。
文体とはリズム。
リズムとは論理的であること。
論理的な文は図に書き起こすことができる。
文章のカメラワークを意識する。
導入が面白くないと読んでもらえない。
細部の描写で映像を浮かばせる。
好きな文章は自分が目指すべき文章。
嫌いな文章はなぜ嫌いかを考える。
理解しているものしか書けない
読者が求めているもの
- 目から鱗
- 背中を後押し
- 情報収集
行き詰まったらフォントを変えて軽い推敲をしてみる。
良い文章とは読者の心を動かし、読者の行動を促す文章。
久しぶりの海水浴
この前の日曜日に海水浴に行った。
震災以降行ってなかったので10年ぶりくらいの海水浴かな?
海水浴なんて、30超えたいい歳した大人だけで行けるもんじゃないから、自分に子供が出来てようやく行ける口実ができた。
小さい頃は海の近くで育ったこともあって海にはしょっちゅう行ってたな。
なんか少年時代にいっぱい遊んだから海にはもう飽きてたように感じてた。
でもまぁ子供にとっては良い刺激になると思って連れていったわけさ。
そしたら、まぁ、やっぱり海はいいねってなった。
海の近くは気圧の関係で心地よい風が吹く。風には潮の匂いが含まれていて、鼻に届くと昔の記憶を呼び起こす。
灼けた砂浜。
照りつける太陽。
空に浮かぶ海鳥のカーブ。
色とりどりのパラソル。
海の家で揚げている美味しそうなホットドッグの匂い。
はやる気持ちを抑えきれず砂浜から駆け出したこと。
足音は熱くて乾いた砂から冷たくて濡れた砂のピチャピチャした音に変わる。
興奮して叫びながら兄弟や友達と一緒に波打ち際に飛び込んだこと。
何もかも思い出した。
震災があってから海とは距離をとっていたのかもしれない。でもやっぱり海はいい。海は最高だ。波音と潮の匂いがあればそれだけでいい。無心になれるもの。ストレスが抜けていくのを感じる。
これは大きな収穫だ。今度から海水浴じゃなくても思いつきでふらっと来てみよう。心が癒されるはずだ。
幼児とスマホによるジレンマ
1歳と10ヶ月の娘がおりまして。
妻はスマホは教育上あまりよろしくないと思っているので、娘には絶対スマホを預けない。
かくいう私もスマホは幼児にはよろしくないと分かってはいるものの、娘のおねだりに根負けしてついつい貸してしまうのである。
妻には苦言を呈される。
大人が2人もいるのにスマホを預ける必要は無いと。
大人が1人しかいない状況で、料理中などで手が離せない場合はスマホやTVは見せてもいいという。
確かにその通りだ。
だがモヤモヤする。
スマホが原因で子供に悪影響があるかどうかはまだ完全には分かっていない。
調べてみてもエビデンスがしっかりしていない。
今分かってることは視力が悪くなったり斜視になってしまうことぐらいだ。
しかもこれは長時間見続けた場合だ。
もちろん目が悪くなるのは避けたいことだが。
私は娘の主体性や好奇心を殺したくない。
娘が夢中になっているのであればどっぷりスマホを使わせてやればいいのでは、という考えもある。
娘は初めのうちは自分の写真や動画ばかりを見ていたが、最近は自分でYouTubeを開いてアンパンマンの動画を観ている。
さすが幼児、散歩が早い。
タッチしたりスライドする感覚にもとっくに慣れている。
このスポンジのように夢中になっているものを吸収する姿を私は邪魔したくないのだ。
それに本を読んでも目は悪くなるのでは?
学ぶことは目が悪くなることなのでは?
だったらスマホを触らせようが何しようが同じなのではと思う。
でも、まだ1歳10ヶ月。
さすがにスマホ漬けはまずいか。
斜視になっても困るし、小さい頃からメガネは可愛そうだもんね。
スマホは毎日多くても30分くらい、時間を決めて触らせるようにしよう。
娘の前でスマホをいじるのもやめよう。
もっと一緒におもちゃで遊んだり、絵本を読んだりしよう。
好奇心は殺さずに、でも悪影響が出ないように。
偏りすぎた育児はしないようにバランスをとり続けていこうと思う。