新伝ひろむブログ

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皿洗いをしたい人

妻の両親を我が家に読んだ時、もしくは義実家に行った時、食事が終わり私が皿洗いをしようとすると必ず義母にこう言われる。

「皿洗いしなくていいからね〜」と。

私は皿を洗いたい。

なぜなら私の手が空いているからだ。

妻は乳幼児の息子に授乳している。

義母も一歳の娘の手や口を拭いたりして構っている。

義父は昔ながらの亭主関白おやじなので皿を洗ったりはしない。

義父は計算外。

こうなってくると手が空いている私が皿を洗うのが無駄がなく効率がいいと思うのだ。

だが義母は皿洗いをしなくていいと言う。

自分が洗う事にとにかくこだわる。

私は無駄なムーブが嫌いなので結局は義母を制して私が洗う事になるのだが。

 

義母が皿洗いに執着する事について考えてみた。

 

今まで専業主婦として多くの時間を生きてきた義母にとって皿洗い、もっと広く言えば家事は自らの価値を肯定するものなのだ。

専業主婦なので仕事を通じて承認欲求を満たす事ができず、故に自己を肯定できない。

家事をこなす事で家族に対しての貢献感が生まれ承認欲求が満たされ、自己肯定ができる。

家事を誰かにとられてしまうと義母は自己肯定が上手くできず、存在意義を失ってしまうような気がして不安なのだろう。

 

日々テクノロジーが発展している現在において、家事のコストはどんどん下がっている。ドラム式乾燥機付き洗濯機やルンバ等のロボット掃除機、風呂掃除もスプレーするだけでOKな時代になってきている。

共働きが増えて家事の時間が少なくならざるを得ない事実も家事コスト減少を推し進める原因になっている。

 

専業主婦はもう不要だと思う。

義母のように前時代からの生き残り専業主婦は時代の変化にもろに飲み込まれている。

自らの価値が否定されていくなかで不安に駆られて揺れ動いている。

 

貢献感を家事に求めている事は時代に合っていない。

もう家事は片手間でこなせるくらいコストが下がっている。

ならば貢献感を違うものに求めてもいいと思う。

私は短時間の仕事かボランティアをすればいいのにと思う。

ただし、自分の得意なもので。

義母は昔美容室を営んでいたので髪を切るスキルはある。

それを利用して介護施設で散髪をすればいいと思う。

 

義母は毎日時間が有り余っている。

無駄な時間をかけて家事をして暇を潰すより、食洗機だの乾燥機付き洗濯機だのフル動員して家事の時間を減らして、浮いた時間を使って散髪する仕事でもやればいい。

世の中の役に立つ事で今まで以上に貢献感を得て承認欲求が満たされ、幸せを感じる事ができる。

 

前に一度打診したら老人の髪は脂っぽくて汚いから触りたくないとかで断られたw

暇なんだからなんかやれよと思うがね。

今は子供がまだ小さいので何かあった時にヘルプで来てもらえるから助かってはいるけど。

やっぱり今まで何もしてなかった人になにかをやれというのは難しいんだなと感じた。